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今日の戯言


2008年11月21日 金曜
気がつけば93円台の相場。その昔、88円台という時があって、海外からやたらとレコードを買い漁った記憶 がある。何処まで上がるのか解らないが、技術ではなく物だけを海外に売っている企業はたまったものでは無いだろう。株もずんどこ急降下だし、日本という国 に拭いきれない暗雲が垂れ込めている状況を感じる。自立の道を歩むのか、それともこれまで通り海外依存でいくのか。江戸時代の如くというわけにはいかな い。全ての国民が海外と情報を共有しているのだから。

首相は批判される為にあるらしく、自分が所属する党からも否定意見が出てしまう。し かし、民主主義の原則を思い出すべきだ。代議員は国民の代表だし、その代表が選んだ首相だということを。選挙で信任云々言うが、国民の過半数が指示した政 権なんだから、まぁ、消費税が15%になろうが、1$=80円になろうが、それは世界情勢と国民の選択ということで諦めるしかない。やけっぱちである。

自 転車で通っていると、今朝もそうだったが、黒い車には霜が降りていかにも寒そうだ。耳や顎の下などがじんじんと痛くなる程の寒さだが、これは慣れるという ことはない。政治の場合には、苦しめられていると、それに慣れてしまうところが恐ろしい。88円の時代だってそうだったように思うのだ。その時の首相が誰 だったかなんて覚えていない。と、言うことは、首相などどうでも良いということだ。政治だけが重要なのであって、それを振り回す代表者など影が薄い。

た だ、世界との距離が急速に縮まっている現代、一国の代表者がおたんこなすかどうかは、国民の生活に直接跳ね返ってくる事柄であって、どうでもよろしいとい うわけにはいかない。いかないが、先生を殴りつける小学生と同様に、なんの苦労もない脳天気野郎が首相になってしまうと、殴る相手が国民になってしまうと ころが凄い。何が言いたいかというと、リーダーたるもの、首相を観察して反面教師にしていかないと、自らのチーム、セクションが崩壊しますよということ だ。気をつけないと。

2008年11月20日 木曜
日産 自動車もキューブを小型化し、小型自動車販売の色を強くしてきた。例えばのお話として、インスタントコーヒーの割安感って、2割増量とか、定量的な数字で 迫ってくるから起こる感覚ですよね。自動車が小さくなったら何になるって、行動をちっとも価値化出来ていないんですよ。価値化するつもりがまったく無いと しか思えない。例えばキューブ1000台の売上で、ガソリン消費量がどれだけ減って、それを使う家庭の一ヶ月あたりのガソリン代がこれだけ減少するとか、 数字を出してみろと言いたい。結局、見せかけのいんちきとしか感じられない。顧客との契約が何も無いのだから。

ワゴンRが売れたのは、 リッターあたり○kmときちんと定量的に数字を出しているからだ。軽自動車だから税金が安いということもあるだろうが、それよりも日常的に効いてくるガソ リン代のパンチ力は凄まじいのだ。一時前、凄まじくガソリンが高価だったころ、車なんて捨ててしまおうと思った程だ。無理に維持するよりも使いたいときに レンタカーで済ますくらいの生活環境が、天然自然に一番優しいのだと思う。

大不況の時代だからこそ、努力をユーザーが見える形で表してい く工夫が必要だろう。最もそれが、個人の働き具合を棒グラフ化する方向に向かっては逆効果だ。組織が不調の時は、数字化するべきは社長の頑張り程度に留め ておいて、兵隊の戦いぶりは、心のメモ程度に留めておくことが懸命だ。製品属性を分解し、一つ一つを見直して、品質の定量化とその向上に努める事が肝要 だ。

自動車はエレクトロニクスから機械加工、材料物性まで広く基礎技術が詰まっている。その性能を定量的に向上させて行くことは、その車 を購入したユーザーにとって利益のあることだけではなく、それに携わる無数の産業技術の向上に繋がる。直結している。いきなり路面電車で便利に移動できる 世界が広がりそうに無い。移動手段としての車を認めるとして、少なくともリッター30kmくらいは走ってくれるエンジンとシステムが欲しいと思うし、出来 ると思う。まずは車関連事象の定量化を自動車業界に求めたい。それが出来ないのならば、とっとと解散してしまえ!ただの地球ブレーカーだ!


2008年11月 19日 水曜
ノイズキャンセリングヘッドフォンという代物がある。人によってその効果の感じ方はまちまちで、いいの悪 いのとネットでは好き勝手な講評が繰り広げられている。ノイズキャンセリングヘッドフォンに出会ったのは、恐らく今から4年ほど前だったと思うのだが、新 しくて古い友人にその効果を試させられ、アンチノイズ効果に感動させられた。その印象が残っていて欲しいなと思っていた。円高になり日本の製品を逆輸入し て試してみた。DENONのものだが、デスクトップパソコンの「ぶぅ〜ん」という重苦しいノイズがぐっと減って心地良い。この機種はケーブルを外してキャ ンセリングだけに利用できるところが特徴だ。

元来が飛行機乗りが安全に情報をやりとり出来る様に開発されたものらしい。人の声あたりの周 波数のカットは難しいらしく、そのへんの周波数の音は比較的軽快に抜けてくる。軽快にと言うのは、低音部分はカッとされるから、甲高い様な感じとなって聞 こえてくるという意味だ。もちろんヘッドフォンで耳当てがあるわけだから、絶対的な音量は下がってくる。

もちろん、音楽も聞くことが出来 るわけだが、小音量で再生してもきちんと聞けるのは嬉しい。小生が普通に音楽を聞くことが出来るのは日曜日の昼間くらいなもんだから、ヘッドフォンで小音 量再生という機能は大変に有難いものだ。そうまでして音楽を聞きたいかといわれると、答えはイエスだ。それが趣味なのだから仕方がないではないか。

ク レデンザをヘッドフォン再生したって仕方がない。ラジオやCDなど、エレクトロニクス経由の音楽やおしゃべりを気軽に楽しみたい道具としてのヘッドフォン だ。愛用しているゼンハイザの音には大変に満足しているが、静寂を感じることは余程の深夜でないと難しい。それ程の深夜だと一秒でも長く眠りたくなるので 音楽どころではなくなってしまう。普通の夜、音を消し去って読書をするとか、音楽を聞くとかする時には重宝しそうだ。ちなみに肝心のキャンセリング能力は 「こんなもんか?」という程度なのだが、外してみて外界の雑音にビックリするのだから、それなりの効果はあると書いておこう。こんなエレクトロニクスの利 用法は「あり」かもしれない。
2008年11月 17日 月曜
 のんびり起きた。昨日は久し振りの休日であったから、寝ている間に気が抜けたというか、切羽詰まっていなかったというか、何者かに首 を欠かれる恐怖心もなく、目を閉じて時を過ごしていたような気がする。夢の中に出てくる風景は、がまの油売り大学や鶴舞大学の研究室であることは普段と変 わりは無いのだが、締切りが出てこなかった分、朝寝坊となったのだと思う。一般民間人の朝寝坊はどんなものか知らないが、7時代まで寝ていれば、それは太 陽への冒涜とも言える朝寝坊だろう。雨が降っていて太陽が顔を出していなかったことも、朝寝坊の要因と言えるだろう。

この朝寝坊という奴は、時々やってみると、随分と体調だけでなく精神状態へのプラス的働きをしてくれるものらしく、様々なネタを生み出してくれる。それが 使えるネタかどうかはしらないが、何はともあれ、あれもこれもと下らないアイデアが降ってくる。生命体とは寝ないといけないらしい。少し情けない気にもな るが、生命を越えた何かになろうと思っても、なかなかなれるものではないと、朝寝坊から開放されて真っ先に思う。実に下らない思考だ。

日曜の朝に雨が降っていると、まずはオーディオ装置に火を入れてFM放送を聞いてみたくなる。何か下世話な情報が飛び込んでくるのではと勘違いしてしま う。流れてくるのは不可思議な音楽と、退廃的な会話だけだ。無線通信から紙面情報に目を転じると、トヨタ自動車が云々という、これまた低俗な話題がトップ を飾っていて吐き気がする。化石燃料大量消費促進起業が何だと言うのだ?人が移動することに価値を生み出さず、移動させる道具を売るだけで平均的な国家の GDPを越えるような利益を上げて来た企業と、その生み出してきた物への恐れの様なものが国民に満ちている亡国を憂う。

破壊的技術が生み出されてくる。何かが小さくなったとか、ガンが消えたとか、それはイノベーションでも何でもない。身の回りにある普通の事実の質が、突然 200%増しくらいに変化してくる時代が目の前にある。便利な自動車をもう一度じっくり眺めてみてほしい。自動車だけではなく、便利に、そして当たり前に 使っている道具、そしてそれを生み出す技術を概観して欲しい。「あれっ?」っと思うものだけで構成されていることに気がつく。自分が変わる、思考が変わ る。そこからイノベーションが出発する。朝寝坊が生み出す元気は凄まじい。世の中、明るさへのきっかけしかない。愉快だ。

2008年11月 14日 金曜
自ら問題点を見出す、あるいは新規思考から物事を生み出す能力が、凄まじい強さで求められている一方、国民の自分だけ良ければそれで良いという思 想が教育を崩壊させた結果、大学を巣立つ学生のうち、ゆとり開放型(とは言っても、その昔からすれば圧倒的にゆとりなのだが)人間が出てくるのは2025 年からだ。倒産する中小企業の数が問題になっているが、従業員が29名以下の零細企業の倒産はカウントされていないから、実際には凄まじい数の「浪人」が 街に吐き出されている。教育にてこの流れを変えていくことは最早不可能に感じる。

そう書くと無責任なのだが、鶴舞大学のホームページに見 られるように、社会人教育のシステムとして生まれた二部はその勢いを無くし、二部への編転入、社会人特別枠は平成22年をもって廃止される。一学年20人 体制と聞くとそこそこの数字に感じられるかもしれないが、一学科5人体制と聞くと、これは既に学科の体を成していないことは明白だ。社会人で学びなおしを 考えるならば、大学院からということだ。これで本当に良いのか?

新規思考に到達するには、第六感は大事なのだが、一番大切なのは基礎学力 なのは間違いない。基礎を徹底的に学ぶシステムはやはり学部だし、そこで教える側も教わる側も真摯に学問に向かい合う雰囲気があってこその学問の場だ。不 況の時こそ学問の戸を叩き、自らを高めるきっかけを掴むべきだと思う。自らの実力不足に真っ向から向かい合い、そして自らに基礎学力の地固めが出きるの は、大不況の今だからこそなのだと思う。そこに気づいた企業は、恐らく、この未曾有の大不況を乗りきるであろう。

不要な人材などありはし ない。しかし、適材として配置されていない人員は少なくなかろう。トップは大英断により、適材配置を心がけるべきだ。配置が人を適材と変えていく。それを 見抜くこと、そしてその場を作り出すことがトップに求められる。ほんの少しの職場の物品配置の変更だって、やる気を生み出すかもしれない。そんな小さな事 から今すぐ始めていけば、傷は最小限で留まるだろう。今動かない奴は永遠に動かない。誤ったトップを持った末路は醜く悲惨だ。厳しい現実だ。
2008年11月 13日 木曜
昼間の気温が20℃近くまで上がる。とても冬とは言えない状況だ。尤も、旧暦で言えばまだ10月だから、秋の景色で正解なのかもしれない。それがいつ頃の 秋の気温と同じくらいか考えることは重要だが。日本で最も気温が高かったのは平安朝の頃と言われる。御簾を開けきって風を通す風情は、今も平等院鳳凰堂な どに見られるが、様は夜中まで暑いから風通しを良くしただけのことだ。物騒+気温の下降によって今様になってきたが、それが物騒だけは増したが、暑さだけ は平安朝に逆戻りの雰囲気だ。

そんなことを思いながら眺めた満月の物凄いこと。 満月の明るさは、考えてみれば太陽がもろに反射しているのだから、昼間の地面と同様のものだ。だから写真で撮影する際には、月に明るさを合わせるなら、月 の周囲は真っ暗。それはそれで月の写真にはなるが、余程の望遠レンズを使わないと情けない写真になる。だから月が映る名写真は多くない。小生も何度か試み たが、余りにも難しいのと、その姿が艶やかなので、月には印画紙に入り込んで頂くことを遠慮している。

し かし、夜がこうも暖かいと、夜中に月と対話したく なってくる。 夜、山で見る月はそれこそ恐ろしい。見えることのない森の奥が青く照らし出され、その昔、人間を食していた一族に見つめられている気分になる。一歩でも動 いたら、二度と明るみに出られない、そんな空気の重さが支配する月の夜。自転車で通っていて、朝は流石に少々寒いが、夜は夜風が厳しいと感じる日は、今の ところ無い。 炭酸ガスの排出量が、昨年に比べてぐっと増えたらしい。日本国内だけでその有様だ。自民党・公明党の思いつくことは、暖かいからばらまいた金に感謝して、 旅行でもして消費税を払え!という事だろう。自動車活用を見据えてのこと。高速道路から加速的に炭酸ガスが吐き出される。愚作の象徴だ。

そもそも日本人は国際的視野を持っていないから、どうせ誰も見ていない から、見えない炭酸ガスをどんどこ出したってわかりゃしないくらいに思っているのだろう。海面が上昇して、最近、ちっともやってこない台風が巨大化して、 凄まじい高潮と一緒に上陸でもしない限り、地球温暖化防止に真面目に取り組むことはしないだろう。だから無意識に消費電力削減に結びつく電子材料が必要 だ。平安朝はそれはそれで趣きがあるが、コンクリートジャングルではシャレにならないし、自然な地球のあり方に従うべきだと、これからのエンジニアの皆様 には真剣に考えて頂きたいと願う私であります。
2008年11月 12日 水曜
最近、人事絡みで会議が多い。内緒の話が多くてリアルなところには突っ込めないが、感じていることを一言二言。若手登用の場合、その背後霊がどうなってい るのかは大切なことだが、最も大切な事は、責務に対してその者が自立して対処できるかいなかだ.そんなことは当たり前なのだが、ジェネレーションと言うか 新人類と言うか、研究は凄いレベルで賞も貰っていて、生まれた時から神童で、人を見下ろして育ってきたんだなと感じると、人の上に立たせて良いのかと疑問 を感じる。

だったら反対すりゃぁ良いもんだが、それがそう出来ないのがお家の事情という奴だ。このお家の事情に私情が絡む状態が続いていくと、このご時世、その組織 は崩壊するでしょうな。学門を極め研究のレベルを高く維持できることと、その者の教育の質とは正比例するとは限らない。勿論、研究のレベルが低くて教育が 出来ないよりはずっとマシなんだろうけど、自分と同年代の人と共鳴することしか出来そうに無いと思える状態で昇格させるよりは、もうちょっと様子を見て、 その後、昇格させても遅くはないし、その者のためになると思う。

しかし、ここもお家の事情で、あたりクジのように拾い物の人事ポストが回ってくると、「それ、今だ!」と木を見て森を観ずの人事をしてしまう。全体の給与 枠から算定されるポスト数に人を割り振っていくわけで、運・不運があまりにも多いと感じる。当人の為にもならない。確かに大統領も40才代のぴちぴちだ。 為政者が若返る時代でもある。だが、教育の場においては、学門よりも人であることこそ大切な時もある。そのあたりをきちんと考えないといけない。

そもそも「公募」が公募では無いなんて実状があって良い筈は無く、そんな詐欺を続けている組織は、やっぱり後が無いなと、どっか雇ってくれるところを本気 で探している私であります。
2008年11月 11日 火曜
気持の良いことに、「1」が4つ並んでいる。社会的にはメラミン入りのハムなんてどうってことないと公言する企業もあれば、最初から巨人なんて嫌だったと 公言する野球選手もいる。とても不可思議で奇異な言動と感じる。そう感じる小生がおかしいのかと思う程、なんだか世の中がねじれて回っているような気がす る。

自転車通勤をしていると駐車場の無いコンビニや牛丼屋の前の、違法駐車自動車によって凄まじいほどの危険に晒されることが多い。そこには毎日と言って良い 程に路上駐車があり、幹線道路故に大勢の人間が迷惑を被っているにも関わらず、今朝などはパトカーすら窮屈そうにその隣を車線変更して走り去って行った。 これが日本の現状なのだと思う。他人への迷惑などは知ったことでは無く、自分さえ良ければ幸せなのだろう。幸せの価値が随分と下がっている。

そもそも幸せなどという通俗的な言葉を使うことは、特に完全ゆとり世代の大学二年生以下には無さそうで、自分さえ良ければという考え方も無さそうだ。自分 すら良くなくてもそれで良くて、従って、幸せなどという心の豊かさなどは得ようともしない。こうも急速に人間性が変化していくのかと驚いてしまうが、これ らの者は国が作り上げたものであり、近い将来、社会に溢れ出していくことを考えるとぞっとする。

企業はそれらの者が大学で食い止められると甘い考えをしているのだろうが、そうは問屋が下ろさない。季節労働者の排除が始まっていると新聞は報道している が、そんな腰掛け労働すら出来ない人間で世の中が溢れ出す日も近い。「1」が並んだカレンダーを見て、気持が良いと感じるのか、オール1を思い浮かべるの か。人間観察の日とするとおもしろい。孤立無援である。
2008年11月 10日 月曜
日本の所謂パソコン文化を創ったのは、異論はあろうがNECの98シリーズであろう。現代の携帯電話開 発文化にも似て、ガラパゴス開発で世界のDOSV文化に飲み込まれ死んでいったのもご存知の通り。ただ、日本独自の文字入力文化を創ろうと、四国の会社が 頑張って、未だに一太郎の名前が残っているのは喜ばしい限りだ。尤も、最近の一太郎は携帯電話ユーザーよろしく、予測変換を通り越して予測入力機能が充実 してきたことで、語彙・文章創造力の欠如を生み出しているのは苦笑いするところだ。
 
OSはと言えば、MSDOS2.11か ら、小生が持っていないWindows Vistaまでマイクロソフトに牛耳られ続けている。日米半導体摩擦で、独自のトロンは組み込みという縁の下の力持ちの世界に追いやられてしまった。 IBMのOS2も同様の運命を辿った。尤も、誰もが統一されたファイル形式でやりとりできる事は好ましいことだと思っている。MacもLinux文化と融 合して、ネットワーク社会に溶け込んで、電子機器をおしゃれグッズへと変化させていった。
 
ネットワーク上でOSやツールを 入手できて、広く統一されたフォーマットで文書形成を行おうというXML文化は、Unixから計算機OSを意識させられた小生にはとても馴染み深く、積極 的に利用したい、活用したいと思うものだ。研究室のサーバーはFreeBSDだし、宿舎ではLinuxとWindowsを切り替えて利用している。そこで この11月から積極的にXML形式の文書を使って、「Windowsの文書しか扱わない(扱えない)人・組織を無視します」宣言を致します。「このファイ ル、文字化けします」等々、文字コードという計算機で最も基本的な約束事も知らない人は、それこそ「知らない」。
 
とは言う ものの、あまりにも乱暴だからファイルの交換はPDF形式という、これまた最近はフリーで作成できてフリーで読み取れる(最低限だが)フォーマットでさせ て頂くことにする。勿論、XMLファイルでのやり取りは大歓迎だ。LinuxのディストリビューションとしてUbuntuはとても使いやすく、「日本語を 入力することすら超技術」と言われたLinux活用のハードルを徹底的に下げた。OpenOfficeも3.0になり、お仕事活用には不便を感じない。お 役所がマイクロソフトに汚染されている関係で、これを完璧に断ち切ることは困難だが、少しずつだが、計算機に掛ける予算を削減することも含めて、世界中で 通用するファイル形式で生きていこうと思う。そんな事なので、皆様、よろしく。

2008年11月 6日 木曜
AはB、BはC、だからAはCという極めて明解で単純なロジックだが、切羽詰まるとAはDと言いたくなる。その気持ちはとても良く分かるのだが、世の中そ うは問屋が下ろさなくて、やっぱりAはC止まり。この屁理屈に見える理屈を、どんな風に体に染み込ませていくのか。一方、AはXくらいにぶっとんだ発想も 必要な場面だって存在していて、エンジニアの辛いところは、その両方を備え持っていないと勤まらないという事だ。そんなの簡単だと思うなら試行錯誤を繰り 替えしてみるが良い。瞬時にして理屈に合わない事をゴリ押ししている自分に出会うだろう。そんなもんだ。

ニュース解説などを見ていると、このツリーが屁理屈で構成されていることが余りにも多いことに気がつく。最も罪が大きいのは、ふんぞり返った有識者が、過 去のふんぞり返った経験だけを錦の御旗と、正義ぶって天下に号令を掛ける事だ。学者は銭金に関係なく、正しい道を示さねばならぬ。その根拠はAはBの理屈 で固められていなければならないのだが、兎角、自らの反対分子を議論に加えたがらないお偉い方々は、手前味噌で世間の問題を握ってしまう。必然、エゴで調 子の良い論説だけとなる。

一見、苦しさを市民と分かち合おうという消費税18%論争だが、経産根拠など何処にも示されず、自民・公明の背後霊が見え隠れするだけだ。暗く疑い深い世 の中になってくことは必然だ。税金を支払っても支払わなくても一律の補助を受けられる凄まじい国だ。物を買ったら負け、欲しいと思ったら負け、物を作った ら負け・・さぁ、この結末は一体どうなる?

消費税が上がってしまうのは時間の問題だろうが、税金の使い道が全く示されない国家同様、入学金や授業料が何処にどんなふうに使われているのか分からない 大学も、そろそろ解体して潰しては如何か?教育の成果を期待しない国家と、それを行う自信の無い大学から成立してい我が国の最高学府体制である。勉強をや りたくない学生が形の上で集まっている大学など、その存在意味などとっくに消失している。教育の意味とは何か?数年の後には完全に忘れ去られた単語になる のではと、自虐気味の私であります。
2008年11月 5日 水曜
海の向こうで大統領選挙をやっている。成熟した国だと思う。なんだかんだ言っても、自分の国の将来を自分達の手で選択できる国民性はうらやましく思う。他 国を羨むほど情けないことはないが、自国を顧みると、他力本願どころか、他力すら信用できず、そして活用できず、責任逃れのがれきの山を築き続けている。 生きている以上は責任がある。命を奪いながら生き続ける生命であるから、他の命を尊く使わせて頂く責任がある。それなのに、昼ご飯に何を食べるかですら 「何でもいいよ」と自らの決断を避ける風潮。変わると面倒だから変えないで苦しみ続けよう。変えたらもっと苦しむかもしれないから。
 
温暖化が進み、謎の植物が目立つようになってきた。明らかに数年前には見かけなかった植物が、道路脇に平然と花を咲かせている。ただし、新品種、遺伝子組 み換え品種、外来種がはびこっているので、単純に温暖化種とは言い切れないのだが、先日、某南の国に出かけたら、近所で見かけるようになった謎の植物が、 それこそ雑草として君臨していることを知った。南国の植物が生きられるようになってきた。これはこれで南の作物が名古屋で生育出来ることを意味しているの で、食糧難対策としては良いのかもしれないが、南の植物の受粉を促す生物が無ければならないし、それが害を及ぼさないとも限らない。これは誰の責任か?そ んな請け負えない責任まで気になってしまう。貧乏性である。
 
ある金属の薄板を、ある材料に貼り付けて温度を上げていく。解ける直前まで温度を上げて冷却する。金属の膨張係数が大きくある材料のそれが小さい場合、凄 まじいストレスが界面に残存し、ある材料は脆くも剥離する。これがヘテロ成長の限界であり、多くの金属とセラミクスとの融合が困難な理由である。材料を構 成する原子の性質に原因があり責任がある。これなどはそれと知らずに使う人間に責任があり、原因である原子には何の責任もない。人間の世界でも同様である と思う。誰かに任せて失敗したら、任せられた奴には責任が無くて、任せた奴が悪のだ。
 
民主主義を考えれば、もしも今、圧政に苦しんでいるとするならば、自らの一票がそれを作り上げたことに納得せねばならぬ。行動には責任が伴い、それが負の 効果を持った時、そこから逃げ出したくなるが、実はそれこそが一身に受けなければならぬ責任なのだ。人の意見など無視して生きていくのであれば、月の裏側 にでも住むしかない。それは出来ない相談だ。ならば辛くとも責任を負いながら生きていくしかない。成功からも失敗からも命は逃げられない。それほどに苦し い生き様だからこそ、他の命を食べることが許される。病気で食べられなくなったら、それは命の責任逃れの状態に陥ったことだから死んでしまう。食べている なら責任を取れ。君のことだ。
2008年11月 4日 火曜
人 は旅をしているようでしていない。冒険をしているようでしていない。想像出来る毎日なら、それは旅ではない。素晴らしいと予想した通り、あるいは、それを 越える出会いがあったとして、それは旅ではない。旅とは自らの根幹をひっくり返してしまうもの。日常の苦しさを遥かに超え、今、そこに立つ自らの存在理由 を失うほどの苦痛を伴うから旅である。日常の努力など旅ではない。幸福は得られるが、思い出があるならば、それは旅ではない。単なる昨日である。
 
人 生、そう何度も旅が出来るものではない。自己の存在理由をリセットしつつ、更に、新規の自分を積層し、しかもそれを圧縮することによって旅は成立する。圧 縮とは前向きである。自らの瞬間的経験がそれまでの自らを粉砕凝縮する程のパワーを持った時間軸をつま先立ちで歩いてこそ得られる体験が存在する時間空間 を作り出せる精神空間に旅が存在する。過去と旅とは違う。
 
明日の自らに恐怖する程の時間、そして恐怖出来る経験を積み重ね ても壊れない、その瞬間を持っている者のみが旅を体験できる。旅とはそれ程に猛烈に強烈な瞬間であり、刹那と呼ばれる意識伝達の神経電気回路の伝達速度を 超えた多重的意識の錯綜が解かれ、生命が生命である理由を見出す瞬間と位相が一致する精神の波動の共鳴を呼び起こしてこそ旅である。
 
旅に道連れも情けも無い。孤立無援の生物にこそ旅は存在し、孤立無援であるからこそ、旅に価値が生まれる。そんな猛烈で強烈な破壊者を自らの鏡像として見 つめることが君には出来るか?私には出来る。ただ、それだけの真実だ。


2008年10月31日 金曜
 
消 費税が財源なんだそうだ。その財源を示したことが勇気あるリーダーの態度なんだそうだ。あんまり気にしている人は居ないと思うが、大学での研究にも消費税 は掛かる。100円均一というわけにはいかない。例えば半導体の基板だって、1枚20万円もする代物を、研究費をやりくりして買っていく。教育のためには 必要な物品だからだが、そこに例えば10%の消費税が掛かったとしよう。買える物も買えなくなる。ましてや1000万の実験装置、1億円の実験装置などど うなってしまうのだ。
 
これほど好い加減な政治は見たことが無い。しかし、これが小泉政権に一票を投じた方々が望んだ世界だ し、多数決で勝った者に従うのが民主主義だから、仕方がないと諦める。今まで以上にけちけちして生活することにしよう。見返りのばら撒きなんぞ欲しくは無 い。ばら撒きの見返りにやってくる大増税が見えていて、景気対策でございと言われても喜ばない。小生は小泉政権には一票を入れていない。他の国民を恨むだ けだ。恨むが仕方が無い。さっさと国を捨てるだけだ。
 
とは言うものの、小生も日本人だから、そう簡単に国を捨てるわけには いかない。小生の武器は教育だけだから、人を育て、政治を人任せにしない人を育てたいと思う。自らに基準を持ち、いつ何時も歯を食いしばる人を育てたいと 思う。歯を食いしばる時が10%の消費税を支払う時では悲しいではないか。
 
税金を上げる時には、国の将来像、改革が抱き合 わせになっているのだろうと思ったら、単なるばら撒きのつけなんだから笑えるではないか。こんな愉快な政治に一票を入れようという国民には絶望するのは事 実だ。為政者は自らの血を見せて、将来は任せろ、今は歯を食いしばれと言わねばならぬ。それが出来ない教師と政治家は割腹せよ!
2008年10月29日 水曜
全 てが本務である。昨今の大学人は査定に怯え低レベルの論文を作り、無駄な学会発表を重ね点数稼ぎに忙しい。無駄に大学にしがみ付く。理由は簡単で解雇され れば食えなくなるからだ。食えなければ死ぬだけだが、生命はそう簡単には死を選択しないから、どんな卑怯な手段を使っても、生き抜くことを考える。むしろ 自らを捨て、ボランティア等々、社会的視野を広げる活動に身を投じてみると、今行うべき行動を深く掘り下げる事が出来るようになるものだ。故に、全てが本 務であるということになる。
 
その際、嫌々ながらやってはならぬ。それは最も避けるべき行動様式だ。当たり前といえばそうな のだが、むしろやらないほうが良い。しかし、このモードに陥って活動している人間の何と多いことか。他人の道具は勝手に使い紛失し、あるいは破壊し、真の 持ち主が修理すれば、修理者よりも早く使い、更に汚染させ、あるいは破壊して知らん振り。これが査定に怯える者の多くのあり方だろう。
 
管 理する側が管理される側から真に感謝されている場に立ち会った。共に清清しく、こんなにも美しい関係があるだろうかと感激させて頂いた。人間、まだ、捨て たものではないと気持ちが軽くなった。醜く暗い世の中だが、光明はいずこにかあるものだと、ほっとした。その場から離れた瞬間に、醜い話の中に落ち込ん だ。
 
天網恢恢租にして漏らさず。漏らしているのではないかと、天に向かって叫びたくなる時もあるが、その時は自らの行動を 省みれば、自らもやはり悪しき考え、身勝手な考えに陥っていることに気がつく。要はその気付きが大切で、身勝手に気付かないからお互いが醜くなる。身勝手 は恐ろしい。気をつけねば。

2008年10月24日 金曜
悪 寒が激しく、宿舎に早々に戻ってTVを眺めた。北京オリンピックフェンシングでメダルを取った選手が、競技に打ち込み定職を持たずに戦っていたことを知っ た。野武士の世界である。それ故に同種目日本人初のメダル獲得となったのだろう。賞賛に値する。しかし彼は、定職が無かったために「お前なんぞ社会人では ない!」と小馬鹿にされていたのだそうだ。日本人はここまで堕ちているのかと嘆く気にもなれない。
 
負け犬の遠吠えであろ う。俺が負けたのは会社の仕事が忙しく、また、会社からの期待が大きくてプレッシャーが大変だったのだと言い訳をしたいのだろう。オリンピックは最善を尽 くす、尽くしきることが大切だと思っている。例えば水泳などでは日本記録を出したとて予選落ちの場合がある。それで良いではないか。世界の檜舞台において 自己ベストを出すことが出来れば。メダル偏重は異様な光景だ。そこで戦ってくれている選手に拍手するのみだ。
 
定職に就かず 勝負に徹したとの事。小生は彼がどの様な手段でご飯を食べていたのかは知らないし、知る必要も無い。有名選手がスポーツメーカーなどから様々な広告料を受 け、恵まれた環境で練習を重ねる状況とは雲泥の差の環境であったことは想像出来る。若い彼がフェンシングに徹頭徹尾打ち込みメダルを取った事は、ただただ 彼の寝食を捨て修行に打ち込んだ結果であることだけは真実だろうし、それだけが理解できれば良い。
 
人間は弱い。つい何もせ ずに成功したいと願ってしまう。更に成功者に嫉妬してしまう。聖者になんてものには所詮はなれない。なれないのだが、自ら夢を持ち努力することだけは出来 る。そしていつか、満点では無いにせよ努力の結果が見えてくるものだ。何をやっても駄目という者は所詮は何もしていないということに気づくべきだ。少なく とも僻むな。一週間、一月、朝晩、パン屋で貰った「みみ」を主食に過ごし、生活費の9割を本代に換えて今がある者もある。足りない努力を人のせいにする な。今の日本。馬鹿が多すぎる。
2008年10月23日 木曜
激しく円高である。NY市場で株が暴落、円 高の様相である。とっくの昔に明らかだが、米国の体力はとっくに尽きていて、それに追従するしか能が無い日本も恐慌と後に言われる状況へと入っていくこと だろう。米国としては得意の戦争ごっこに持ち込みたいところだろうが、軍事的にはロシアが圧倒的にイニシアチブを取れる国力バランスだから、米国がくしゃ みをしても風邪を引くのは日本だけの世界だから、そうは問屋が卸さないだろう。こんな時こそ持てる人的資産を結集して、体力回復に向けた新技術開発に向 かって進むべきだ。それが出来るのか出来ないのか。出来ない企業や大学が消滅していく。
 
根幹的な技術が必要である。それは シミュレーションや画像処理などのソフトウエアでは決して無い。目に見えるハードウエアが必要だ。大型TVや自動車でもない。同じ形のものでも寿命を5 倍、10倍に延ばす技術、鉱物鋼材から天然素材への回帰、環境汚染から浄化への技術等々、10年、30年後に効果が上がってくるような息の長い技術の開発 と、本当に直近で解決が必要な問題を解く技術への思い切った人的投入が出来るか?恐らくふらふらと幾つかの問題に目移りを繰り返し、どうしようもないとこ ろに向かっていく企業や大学が殆どだろう。
 
ロボットだのシミュレーションだの、エレクトロニクス・メカトロニクスを纏った 目に見える技術が分かり易く、それ故に昨今の若者に受け、大学もそれらの研究を前面に出して集客力の向上に繋げている。工場での無人労働システムは勿論の こと、介護補助など直近に必要な技術として開発は進められるべきだろう。人が人を援け上げていく事は少子高齢化社会では困難になる。悲しいことだが仕方が 無い。しかし、遊興ロボットの研究にまで勤しむ姿は頂けない。テクノロジーを弄ぶ見せ掛けのエンジニアと、後ろ指を指されても仕方が無かろう。
 
恐 慌だからこそ夢のある技術が必要だ。それは遊興という意味では決して無い。宇宙が人類に与えたツールを最大限に活用し、今、目の前に物が存在することに感 謝し、「偶然ではなく努力の産物」によって文明に頭を垂れる素直さが必要だ。この恐慌でバブル期以上の強制退職者(解雇とも言う)が街に溢れ出し路頭に迷 うだろう。小生とて例外ではない。そんな時にも歯を食いしばれる気概が、今の日本人にあるだろうか?それを見てみたい。そしてゼロから数字を産んでみた い。そんな気持ちになる昨今である。
2008年10月22日 水曜
当たらないのは天気予報と地震予測。次い でに言えば政治家の妄言。並べ立てれば際限が無いが、今朝の天気もその一つだ。昨日まで「金曜日まで晴れ」となっていたものだから、自転車通学の準備で表 に出たら雨がパラついている。仕方無く着替えなおしバッグに荷物を積み直し・・・ちゃんと忘れ物が出てくるところが情けない。八つ当たりは大抵、天気予報 だ。まぁ、天気予報に八つ当たりするくらいは罪は軽かろう。

予測と言えるのかどうか、ブリックス社会の限りの無い発展を信じ、排気ガス発 生装置を販売しつづけてきた企業が、ここにきて世界的にこけまくっている。自動車は加工部品の塊だから、そこが不況に陥って自動車の生産量が縮減される と、中小企業の倒産は勿論のこと、機械工作、エレクトロニクス技術の発展が停止、更には消滅となっていく。一兆円の収益減なんだそうだが、一般の一企業が 何代掛かっても稼ぎきれない額を、たった半期で霧散させるなんざ、なかなか粋である。

地下鉄の中吊り広告で「70歳まで働ける国にしよ う」と政府が叫んでいる。確かに地下鉄に乗って階段の上り下りから、駅から会社までの徒歩を毎日続けている様な小生の如くのミニマム市民は、若い頃から必 然、足を鍛え血液をポンプアップして血管の老化を無意識に防いでいるから、突然の事故やガンなんてことにならなければ、60歳までは動けそうな気がする。 しかし、排気ガスリッチで毒物リッチな食べ物を摂取していて、とてもではないが、70歳まで働ける筈は無かろうと、運動だけで健康を維持できるのだという マヤカシ広告であることに国民は気づかねばならぬ。

ましてやこの狭い日本で、更に、地下鉄・バス等々の公共交通機関が発達している大都市 圏において、自動車で無駄に広い道路を埋没させ続けている諸君には健常という言葉は掴めない夢の如くであろう。本気で70歳まで働かせたいのであれば、即 座に自動車社会を捨てて、安心・安全の中でどの様な産業を興し、農業・水産業との共存を図っていくか、そしてどの様な教育が100年後の国家の為になるの かを議論し、行動に展開せねばならぬ。一大学の存続などどうでも宜しい。さっさとお取り潰しがお似合いだ。挑戦投資と耐え抜く削減。今、リーダーに求めら れる資質だ。
2008年10月21日 火曜
巨人/阪神をどうのこうのということではない。ましてや 中日を避難する気は毛頭無い。プロ野球を見なくなってからしばらく経つが、チャンピオンシリーズなる取って付けた様な客寄せ興行には呆れかえる。正確な数 字は知らないが、百四十数試合で優勝が決められた後、首位、二位と十ゲーム差以上離されていたチームがチャンピオンシリーズに出てくる資格が与えられてい ることがまったくもって茶番に映ずる。

ゲーム世代の子供達のリセット主義というか、まぁやり直せばいいやといういい加減さ、不真面目さを 感じるのだ。同率首位で優勝決定戦が行われる相撲とは異なるのだ。相撲には1差だったから優勝決定戦に進めるなどというルールは無い。もっとも、八百長は あるようだが。いずれにせよ、十ゲーム以上も差を付けられたチームがチャンピオンシリーズなるプレーオフに出場出来る資格があるようなルールは無いほうが 良かろう。運動会で「紅組の優勝、さぁ、これからチャンピオンシリーズで白組にも優勝のチャンスが与えられます」と校長先生がいきなり切り出したら、必死 に戦った子供達はどう思うか?

所詮、プロ野球などその程度の娯楽と割り切ればそれで良いだろう。しかし、子供の頃から草野球に興じ、真剣 にそれに打ち込んでいる球児達が居ることを思うと、あまりにも安直なルールに腹が立ってきたのです。中日が阪神に勝ったから云々ではなく、下らないシステ ムを考える輩に腹が立つのです。そもそも6チームしかないのに、その半数が勝負事のやり直しをするとはなんたることだろうか!

世の中、やり直しが効かない事が多い。しかし、脱税政治家が次の選挙で勝ち上がるとか、麻薬を吸った芸能人がテレビに出てくるとか、不可思議なやり直しが 目に余る。狭い国土で戦っているのだ。プレーオフなどそぐわない。馬鹿馬鹿しい。
2008年10月20日 月曜
昨日、豊田市某箇所において 理科教室を行った。某青年会が主催で、某学校の学生グループが主体的に動くということで、我ら学会員はアシストという位置づけのはずであった。現地では学 生グループは会場設営などには力を発揮してくれていたが、子供達が目の前に現れると、椅子に座ったまま。とても主体的とは言い難い動きであった。若い彼ら にとって、何が得られたのか聞いてみたかった。
 
恐らく小生の思い違いだったのだろう。しかし、学会は学生達に事前実習まで 催し、それこそ主体的に工作実験指導が出来る段階まで、技術的にはレベルを上げていたし、更に工作も容易なものであったから、質問を恐れる必要は無かった 筈だ。そもそも我々をアシストとして呼んでいるのだから。椅子にしがみ付いて限られた子供と親の相手をしていては極めて不公平な空間を作り出しているだけ ではないか。
 
尤も、この様なチャレンジは歓迎するところである。結果はどうあれ、チャレンジする姿勢は賞賛に値するところ である。鶴舞大学の学生にそれをやれと言っても、昨今、目立って元気が無くなった学園祭の状況を鑑みると、恐らく、同レベル以下の結果に終わるのは目に見 えている。日曜日に教育ボランティアで活動する意識は立派なものだ。
 
理科教室への要求は多い。新聞紙上では科学館や有名大 学、企業が実施する理科教室の話題が取り上げられるのみだが、応用物理学会当会支部が行っている理科教室は、物理的内容を必ず盛り込み、理科の素晴らしさ を子供には勿論の事、先生、親に理科好きになっていただこうという目的を持っている。手弁当の学会故に、企業からの寄付を頂戴し、それを社会に還元する活 動を行うことが出来ると考えている。一つの大学、企業の利益に偏ることは無い。研究室の卒業生のK君には、飛び込み参加でしっかりと働いて頂いた。感謝す るとともに、その活動が彼のこれからの活動の一助となれば幸いである。大切なのは教育である。

2008年10月16日 木曜
満月であった。「この世をばわが世とぞ思も ち月のかけたることもなしと思ば」 と言える程、天下を見下ろす趣味は無いが、西暦1000年頃の道長も我々も同じ月を眺めているのかと思えば愉快な気分になる。起きて半畳寝て一畳天下奪っ ても二合半である。満月も必ず欠ける。そして欠けた月は必ず満月に戻る。焦るまいと思う。

コ スモスが綺麗である。ひよひよの体で良くも咲き、そして喜ばせてくれる。咲き誇る風体ではない。ただ咲いている、そんな風情が秋の気配に相応しい。秋が来 たから咲くのでは無い。コスモスが咲くから秋が来るように想う。秋は冬のためにあり、冬は春のために訪れる。嘆く必要は無い。

地球を破壊 する唯一の生物が人間であると、知った様な顔が叫ぶ。人間が地球を破壊出来ると思っているところが悍ましい。地球に生かされているだけである。活かされれ ば本望だが、単に生かされているだけの者が何をしたとしても、数億年の営みに参加させて頂いているだけのこと。自惚れてはいけない。

真実 は人間が見たものを、そう呼んでいるだけで、実際の処、幻想に過ぎない。しかし、その幻想が無ければ生きていけないのが人間である。神の造ったレールの上 を走っているのでは無く、自身の意志で道を作り進んでいると楽観出来るからこそ気が楽になる。それで良いでは無いか。神もまた人の意志であり、人にそう想 わせるのが神なのだから。今日一日、気長に過ごす。
2008年10月15日 水曜
経 済は生き物で、数学で表現できるが求めたいと願う解は得られないし、そしてそれに出会うのは偶然に過ぎない。小生は経済の専門家では全く無いが、経済を下 支えする産業との関わりは少しはあると思っている。その少ない接点からでも、今の不安定さが伝わってくる。それこそ揺り篭から墓場までが経済活動の中にあ り、それに一喜一憂して生きている悲しさに気が付けば良いのにと思う。
 
他より優れた製品を開発し、広く利用して頂き、より 多くの利益を得ようとするのが企業の基本姿勢である。これはこれで当然のことで、手を携えて仲良く生きていきましょうなどと暢気なことを言っていれば、た ちどころに消滅させられるのが世の習い。例え良い物を作ったとしても、弱小企業だと信用されないのも世の習い。中小が大企業に立ち向かっていくには、消費 者のブランド志向と戦わねばならぬ苦しさがある。
 
昨日、某D社の製品回収のニュースをネットで見た。D社よ、お前もかと、 世界最大の下請け企業と威張っていた社長殿の、胸を張った背広のはじけそうなボタンが思い出されるが、大企業こそ「ゆとり教育人材」の影響がもろに出てき て、これからの十数年間、購入できるものが無い程に、クオリティが下がっていくのではないかと危惧している。それが大学の教育不行き届きと重なって、良質 な教育を行っている大学と、そうでない大学との選別が、企業の側から行われるような気がする。実は、そう願っている。
 
今、 中国の農薬漬け食品、毒物食品を輸入している国は世界で日本くらいだろう。それほどにまで好い加減な政治なのだと呆れる。それは食料を自給できない、食糧 生産だけでは生きていけない仕組みの国家であることの証明である。食べられなければ経済など安定しようが無い。生きていくという生命の基本的活動を無視し た経済活動に依存する国家。既に亡国である。
2008年10月14日 火曜
民 間伝承というのは面白いもので、それが土地の大金持ちに絡んだものとなると、微に入り細に入り、お金の正当性に向かっていくという点で興味深い。先日は カッパのお話に出会ったが、小生が山で聞いたのは化け猫のお話である。これは大金持ちが絡んでいないので、単なる恐怖の対象である。
 
熊取りが山に入り、熊を探していても一向に熊が居ない。はて、いつもならもっと捕まえることが出来るのにと、三日三晩目の闇夜にふと浮かぶ森の中の白闇。 そっと近付いてみるとそこには熊よりも遥かに大きな猫が、子分の猫どもを従えての大宴会。皿の上には熊が・・
 
こ の話の顛末は、猫を粗末にすると化け猫に食われるので、山の家々では猫を大切に飼い育てるという、まぁ、ペストを伝染させたねずみを退治した猫が大切にさ れたとのと同じようなものだろう。蔵で米を食べ荒らすねずみを退治させるために猫を飼う家が多く、また、殺鼠剤なんてものを使わない時代の、実は当たり前 の世の中だった頃のお話だ。
 
母の実家で聞かされた化け猫伝説のおかげで、小生も猫は恐ろしいし、また、とても親近感を覚え る生き物となっている。大金持ちも、きっかけはカッパが薬の製法を教えてくれたということで、人間が聖霊の力に依って進化していく過程で、実際に体験した ことなのかもしれない。あるいはDNAに刻まれた遠い記憶が蘇って映像化しているのかもしれない。旅は素晴らしい。その企画者は更に素晴らしい。今回もN 君にはとても素晴らしい経験をさせて頂いた。ここに感謝する。

2008年10月 9日 木曜
ご 近所さんでノーベル賞が花盛りだ。日本人受賞者が大量発生で、こりゃどうなってんだと思うくらい。内容を拝聴させて頂くと、成る程、今の世に必要なお仕 事、考え方であることに感動する。将来への予測というところが素晴らしいと感じる。今を乗り切るのではない。将来の発想の種になるお仕事故に素晴らしい。 今現在、この様なお仕事が出来るかと自分を見つめてしまう。時代を超越する考え方こそ素晴らしいということだ。
 
中日新聞曰 く、基礎研究にはお金が付くチャンスが無いとか、地方大学がここぞとばかり法人化後の研究費削減に対する批判文をぶち上げている。おいおい、そんなことも 無いぞ?その当時、教授・助手に散々馬鹿にされて、その先生方の学生さんにまで馬鹿にされた平坦化が、「きぼう」に乗っかって宇宙を回るところまで研究的 には広がって成長している。要は研究者としてこつこつ真実に向かう姿勢と、真摯に学生と向かい合って教育指導を繰り返す気持ちの強さが必要ということでは ないか?
 
研究費なんて10万円でも有難い。助手の頃は学生が新幹線で移動する所を、夜行バスで交通費と宿泊費を浮かせなが ら研究したもんだ。ただ、日本経済を考えると、これからも基礎研究に投じられる社会からの基金は減り続けるだろう。教育組織の改革も必要だ。子供たちが基 礎研究をしてみたいって、夢を描いてくれるようなトータルな教育組織が必要だ。「それは何、何故?」と純粋に口から出せない子供達が増える現状では未来は 見えない。
 
有機ELなど、少し前まで基礎研究であったものが、突然、ディスプレーになって実際に商品になってしまう。そう なると基礎研究の火は確実に消えていく。本来、基礎研究が爆発的に増えてきてもおかしくないのに。SiCも同様で、デバイス化が見えてくると途端に大学の アクティビティが下がって学会も火が消える。小生は愚直に進むだけだ。まだまだ先は長い。学問の神の背を見るまでは考え続けたい。
2008年10月 8日 水曜
現 実に飲み込まれる事無く、思い描いた理想に、生きている間に近付こうとする人間は、それを本能では無く意志としてそれを達成しているのであれば、間違いな くその者は人間として自立していると言って良い。所謂動物と人間との違いがここにある。自らの意志とそれを達成させるための智慧こそが思考の産物であり、 この思考を積み重ねることが人間の証となろう。
 
最近、一つの事をじっくり考える時間が取れず、学者失格状態が続いている。 瞬間瞬間に思考を廻らせてはいるが、文字の如く、思考が廻るばかりでちっとも進展が無い。これが結構なストレスとなり、同道巡りのスパイラルに落ち込んで いる。年が重なるに連れて落ち込みの周期が短くなってきているとともに、外因性の破壊的圧力の強さが増してきている。
 
ここ で外因性と言ってしまうと、これは完全に戦闘放棄を意味していて、自らは関係無いと思っていても、それは所属している組織で発生していることと考えれば、 何一つ、外因性と言い切れるものなど無いのだ。共同研究先の企業の都合なんてのは明らかに外因性ではあるが、鶴舞大学、学会、教育・研究のコミッティ、社 会・・で発生してくるプレッシャーは、恐らく間違いなく、内因性と言っても良いものだろう。
 
あっさりしたホームページに我 ながら呆れている。小生史上、最も好い加減な画面構成である。しかし、こんな画面を眺めていると、最小限の力で必要不可欠な情報を発信できればそれで良い ではないかと思う。華美を欲する風潮が思考の低下を生むのであれば、骨格むき出しもまた、面白いではないか?意志と思考。自らが人間と信ずるならば、それ を定量化してみて欲しい。そんな一日を過ごして見たいと思う、私であります。
2008年10月07日
しばらくぶりの更新である.どうしてこうなったかと言えば、単純にPCがふっとんだからだ。PCという必ず飛ぶ機械と真 面目に付き合い過ぎるとろくなことはない。必ず痛い目に会う。痛い目に会いそうだな感じ始めて、その瞬間に対応しておけばどうってことはないのだが、それ が大抵、取り返しがつかなくなってから行動するものだから始末に悪い。過去、何度PCが飛んだ瞬間に立ち会ったことか。懲りずに今回もやられてしまったわ けだ。

データそのものはバックアップがあるし、まぁ、データを失うような馬鹿では無いので、その点はあまり気にはならない。問題はインス トールしてあった膨大なツールの復旧だ。完全に諦めて、excel、word、powerpoint程度をインストールするところからスタートした。これ らのツールにも飽きてきたし、良いツールとは思えないのだが、お役所等がこれらを欲するので仕方なく利用する。元来がUnix人間だからWindowsな ど無くなっても良いのだが、結局のところお役所がWindows関連ソフト一色になっているのが癌だ。

凝りきったホームページはもう嫌なのと、管理が厄介になってきたので、鶴舞大学が管理してくれるサーバーに席を移すことにする。本来、勝手にウエブサー バーを立ち上げて良いものではなく、健全な環境に設定したとも言える。まぁ、潮時という所か?

いずれにせよ、再び暴言を吐く場が復活したのは喜ばしい。何十回目かの戯言復活である。ちなみに「たわごと」と読む。ざれごとでは無いのでお間違えの無い ように。